
玄関先に植えた紫陽花(あじさい)が今年も花を咲かせた。
入梅に開花し雨に濡れながら少しずつ色を変え梅雨明けには花仕舞いしていく。けなげに色を失っても花びらを散らさずにいる紫陽花を見ていると何かにじっと耐えているように感じてしまう。
―5月―
春過ぎから近辺が騒がしい。ここへ引っ越してきたばかりの頃、「環状線が通る以前は、ここらいちめんが田んぼばっかりでなぁ、わしが最初にこの場所に家を建てたんだ‥」と、気さくに昔話をして笑っていたS氏がゴールデンウィーク中に亡くなられた。葬儀も終えた明くる日の夜、S氏宅の前を横切ったところ、何となくそこにいるような気を感じたので軽く最後の会釈をして通り過ぎる。今思えば朝早くからいつも門前にたたずんでいたS氏の残影が頭の片隅に浮かんでいただけなのかもしれない。暗い夜道だったからといって人がいう怖いという印象とはまったく違うものを感じていた。
帰宅するにあたって玄関の扉を開けると、いっせいに尾を振って嬉しそうに迎えてくれるオマケ軍団の姿に顔がほころんでしまう。外に出れば良いこともあるが嫌なこともある。昔は酒でまぎらわしたものだが、今は扉を開けるだけで気が楽になっている。

―6月―
去年より両指の力が入らないと言っていた母を大学病院へと検査入院させたのが六月の中日あたりで、その間に三件隣のKu-soじじいも脳梗塞で緊急入院、高齢者とその家族が住む我が家の隣接は穏やかな環境のように思えていたが、不幸は意外にも相次いでいる。数日してまた救急車が近辺で止まった。運ばれたのはS氏の娘だった。数時間前に普通に話をした直後だったということもあり、急性心筋梗塞で意識不明だと耳にし愕然とする。
6月16日(土)くもり 気温28度

我が家に紋次郞が来て今日で二年が経った。オマケ軍団は言葉を覚えたように鳴き声を変え話しかけてくる。「はなこ」は庭でスパイクと一緒に遊びほうけている。このところ外出することが多くなってから、紋次郞が側から離れなくなった。仔猫の頃から風呂もトイレも一緒に付いてまわる猫だったがあまりにも甘えてくるので、ある意味心配している。庭に放っても「はなこ」やスパイクとは違い私の足下からなかなか動こうとしない。あるていど外気に慣れてくればようやく遊びだしたりもするが、こちらの方ばかりを気にしている様子である。‥やはり同性愛か?
まあ、何であれ乾杯。

「ごはん」が欲しい時には「おにゃ~ん」と鳴く。忙しく手が離せない時など彼らの要求をつい無視してしまうが、ポンポンとやわらかな肉球で叩いてくる紋次郞の振る舞いに何時も遣られてしまう。何ともカワイイ風景と、遠目でヨダレを垂らしているスパイクのキモコワイ風景がいつも重なる。
6月28日(木)
二週間におよんだ母の検査入院も終わり退院に向けて主治医に、とある一室へと案内させられる。指のしびれ以外は必要以上に健康な母はストレスもしくは神経痛だとしか考えていなかっただろう。これまでも外科、内科と病院を数々と変えながら色々な診療をしてみたが、それといった診断はまったく下されなかったのだから、私自身も安易な考えしか浮かばなかったものだ。
(診断結果)
病名=『ALS』(筋萎縮性側索硬化症)と告げられる。
発病から心の臓が停止するまでにあたっての話が二十分足らずで説明された。
「この病気は約十万人に一人か二人の難病指定されているものです。おおよそ半年から一年ほどで物が食べれなくなり話せなくなります。まず寝たきりになることは覚悟して下さい。余命は早くて半年、おおよそ、二、三年ぐらいだと思ってかまいません。ただ人工呼吸器をつけない場合であって、装着すれば何年かは生き延びれます。しかし本人は話すことも出来ず全身も眼球も動かすことが出来なくなってしまうため、辛い思いをすることになります。この病気は麻痺してしまうというのではなく筋肉だけが減少していくので、普通に痛いとか痒いとかを感じられるのです。それを相手に意思表示することが出来ない苦しさが生じます。また介護も老人介護とは異なり想像以上に困難なものとなるでしょう。胃ろう、人工呼吸器については十分に話合って下さい。一度この呼吸器の選択をしてしまえば外すことは出来ません。それをしてしまうと殺人罪になってしまいます。装着率は7対3の割合で本人及び家族との話し合いで「延命治療」をしない方が多少多いのが現実です。ただしそのどちらを選択しても辛いことになるでしょう。やがて訪れる状況で人工呼吸器をつけないにしても本人は眠っている状態なので安らかなものです。またそれ以前に肺炎になってしまう可能性もおおいにありえますので、その辺も今後の通院の中で説明していこうと思っています。治療法は今のところまったくありません。ただ進行を遅らせるといわれる薬は飲ませようと考えています。これは高額なもので一粒4000円ほどします。それを一日朝晩二錠飲んでもらうことになります。最初に説明しておきますが、これを飲んだからといって進行がどれだけ遅らせるかと言えば人それぞれではありますが、たいした結果にまで至りません。ひとつの救いがあるとすれば、私がヤブ医者でこの診断に誤りがあったということだけでしょうか。そうであることを願うだけです」
本人を目の前に平然と説明を続けていく主治医に対し、ただ呆然と聞き入る素振りをしていただけの時間だった気がする。帰宅してからも他人事のような気分が抜けきれず、しばらくはドラマの世界に入り込んでしまったようなとても不思議な気分で過ごしていた。医師からのあまりにも突発的な発言に込み上げてきた怒りを感じる時もあった。そうかといって誰もが言いにくいことを最初に母に話してくれたことに感謝したりもした。もう他人事でない、病気に対しそれを理解しようとあらゆる調べごともした。お陰である程度、文面的なことはわかった。だが何も知っていないのだろう、現実がこれから降ってくるまで‥。
この歳になると『祝い事』よりも『うれい事』のほうが多くなってきた。人は喜びは共有できるが苦しみや悲しみは、その根のところで共有できないものだと思っている。それが親子であっても私は思うことしか思えず、出来ることしかしてやれない。
病名に対し、そして親と子に関しての昔日な思いや他とは比べようのない複雑な環境と感情が交わってのこともあり、今後これらに関しては他のブログ日記を立ち上げ書いていこうと思う。
6月29日(金)
一時は危篤にまでなったS氏の娘が後遺症もなく無事に退院してきた。私とよく似た年代なのだが、とてもパワーがあり若々しく見える。フランスに永く移住しパリコレのデザイナーをしていたらしいが、なぜか今は犬のブリーダーをしている。独り身のまま一風変わった生き方をしていると思ったりもするが、それはお互い様なのかもしれない。
今にして思えばS氏が亡くなってから日に日に気が抜けたようにぼんやりとし痩せこけていった夫人が、今回の娘の生死によってしっかりしだしたのだから、見えない働きかけが何処ぞからあったのかもしれない。‥と勝手に思っている。

6月30日(土)

小さな裏庭の塀の向こうに男松と女松が植えてある日本庭がある。二階の窓を開ければまるで我が家の庭のように見えてしまい、オマケ軍団はボロ家のつづき庭だと思い眺めている。門から屋敷までには少し距離があり、緩やかに曲がりくねった小幅の道筋から池に跨がる石橋を渉り玄関口へと向かう。一見風流でオシャレな造りだが、老人二人で住むには不自由が多いらしい。冬は積雪により池と橋の区別がつかなくなり、雨の日は滑りやすく危険なうえ庭の手入れに金が掛かりすぎるという愚痴を何十回と聞かされたものである。昔はどこぞ高校の校長先生だったようで屋敷内の所々にワケワカメ本がギッシリと積み上げてある。それが去年の夏辺りからアルツハイマーになってしまい今のところ本人がワケワカメになっている。私の父もアルツになっていったが、周りが思うほど本人は不幸せでもなさそうだ。
ここの夫人の話を聞いていると自然に町内の知らない事情が得られた。今年の豪雪時期は一緒に雪掻きをしながら、春には朝夕と庭に水をまいている時間帯にここら住民の性格や秘話まで教えられた。一年を通しほぼ毎日のように話し相手にもなっていた夫人が、夜遅く他界したと聞かされたのは翌朝のことだった。晩年七十六歳、いつの間に入院していたのかも知らず夫人の本当の年齢も知らなかった。何でも話してくれた夫人だと思っていたが、言わなかったことがひとつふたつとあったということだ。そう言えば母も七十を過ぎたというのに年齢をごまかしたりしていた。ひとつふたつ、さばを読んだからといって何がかわるのだろうか、と思ってしまう。
当夜は日本酒を呑む。別に感傷的になっているのではないが、いささか苦い味がする。しかし勢いがつくと呑みすぎて記憶が飛んでいる。だから本当に苦く感じたかは定かでない。ここが自分のいい加減なところなのだが、かようなだらしのないところが自身の酒の長所だと思っている。
完璧にいようとしたばかりに思うようにならないことにすぐ腹を立てていた若い時代よりよほど生きやすい。
7月31日(火) ―猛暑日―

梅雨明けぐらいからだったか、いつものように「はなこ」がこちらへ寄り添ってくると紋次郞が嫉妬するようになった。毎朝きまったように「はなこ」はピンクの猫じゃらしを銜え目の前に来てはポトリと口から落とす。それを辺にポイと投げると、まるで犬のように銜え運んでくる。猫にしては奇妙な行動をするものだと階段下にまで放ってみたことがあったが、いつも以上に楽しげに、また自慢げに口に銜え目の前にまで運んでくる。夕方になれば決まってキーボードの上に猫座りをかまし、その真下にはピンクの猫じゃらしがちゃんと置かれている。余計なことはせず遊べと言わんばかりの態度だ。それが「はなこ」とのふざけた時間だった。いつも高台から遊び姿を眺めているだけだった紋次郞が明らかに邪魔をするようになった。それでも「はなこ」が甘えようとすると追い遣られそうになる。そんな状況が何度も続いたうちに、紋次郞の気づかない時にだけ寄り添うようになった。それにしても真夜中にそげな荒技で甘えなくても良かと思うのだが‥。 今朝の髪型はなかなかイマイチだぞっ。


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