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2007年3月の記事

2007年3月25日 (日)

能登半島地震 P1

ニュースを見て驚いた。
_37突然の揺れでマンションの一室は大きく横に揺さぶられ立つのもやっとの状況だった。これほどの揺れは記憶の中で初めてである。どうにかテレビのリモコンを握り、ニュースをつけた。母方の故郷、能登半島の地震であった。前日の雨で地盤が緩んでいたのもあり、とんでもないことになっているようだ。足元には買ったばかりの「バカラのペアグラス」が砕け散っていた。現在、わかることはここまでである。

3月25日午前9時42分ごろ、北陸を中心に広い範囲で強い地震があり、石川県能登地方で震度6強(マグニチュード6.9)と推定。警察庁などのまとめでは、石川県輪島市鳳至町上町で女性(52)が自宅の灯籠(とうろう)の下敷きになって死亡したほか、重傷10人、軽傷95人。

2007年3月 9日 (金)

ちちばなれ

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生きる中で関わった人の死に対しその終わりを充分に納得し、思い残すことなく生きていくことはなかなか難しい。間違いなく心のどこかにおいて残念があり、それは思いわずらいとなって自身の中にいつまでも居残ることになる。
心の中で生きる死者の想い出は、日々の思い出と同じく安住の地を得ている時もあろうし逆に心残りのまま何時までも引きずる場合もある。これは自分だけの問題であり、その記憶はいかなる他者とも共有できるものではない。                   
まだ肌寒い夕暮れ時、私はあのほろ苦い思い出を胸に墓の前に立った。父が自分に何を託したかったのかということは、いまだにはっきりと自覚することは出来ない。しばしの間、少年の頃の思い出にひたりながら薄暗くなった空を見上げた。少し前まで西の空に浮かぶ夕日が、うろこ雲をオレンジ色に染め上げていたかと思えば、今はもう灰色の雲へと変化している。この世の中で変化しないものは何もない。すべてのものは変化しつづけ、また人生も消えてなくなってしまう。

遊んでもらった記憶など何もない。父と子としての思い出に残る記憶といえば憎しみと恐怖しかなかった。何かの書物で読んだことがある。「許せることと許せないことの線引きは感情ではなく理性でするものだ」、そう書かれていたものの実際は、そんな単純に整理できるものでもない。

猟銃の打ち方を真剣に教える父の姿を思い出す。打ち抜いたときの衝撃は八歳の肩には強烈な痛みでしかなかった。今でもその苦痛はしっかりと覚えている。何であろうと泣いたりしようものなら容赦なく打ち倒されたものだ。苦悩とはそんな痛さより父の存在そのものだった。父を恐れ憎しみをいだいていた少年期にあった少しばかりの記憶だ。
何年生の時だったろうか。作文で「おとうさん」の課題で宿題を出された時は黙って学校を休んでいた。他人の日常の父との事柄を耳にするのが嫌でしかたなかった。生涯、仕事も持たず好きなようにだけ生きた父である。ただ、その家族は犠牲者となっていたのは間違いないことだ。片栗粉を湯でといで砂糖をたらし食したりもした。それでも母とさえ居られれば楽しくすごせた。
突然の転校にも慣れていた。ポケットにはアパートの鍵と住所を書き記した紙だけがいつも入っていた。
小学二年の夏、夜中に父の投げたグラスが母に直撃するところを目にした。血だらけになった母はすぐさま救急車で病院に運ばれた。そして、三年後に離婚。一度目の「父離れ」である。母方に付いてから新聞配達を始めた。 二十年の月日なんて、あっという間に過ぎてしまうものだ。私もその頃の父の年齢に達した。
ある日、父方の親類から連絡がはいった。あの父が三ヶ月の命だと聞かされた。子供として父を父と思えぬまま、あの男はこの世から息絶えていくのか。自分の心中で格闘した。 ――どうやら、痛み止めのモルヒネさえも効いていないようだ。辛く苦しいはずである。だが、病院のベットに寝かされている父は無言のまま私を睨みつけているだけであった。医師から言わせれば意識はもう無いと言っていたが、最後に私の名を大声で叫んだ。睨みつけていた目は閉じることもなく息をひきとった。六十四歳の生涯である。

強さと生き様を知らされた気がしてならない。死を教わった。父と離れ、父を恨み、父が他界した今頃になり「父離れ」していないことに気づきだしてきたのかもしれない。生き方そのものがどうであったのかは、今のところ父にしかわからないことである。
この世から消滅したものこそが幻でない唯一の確かな存在であるかもしれないという逆説に打たれる。 最近になり父の生き方をそれなりに認めることが出来るようになってきた。だが、それを認めたときに父はこの世には存在していないのも事実である。
血はつながっている、そんなことだけは知っている。今 父から授かったものを確かめるためにここに存在しているのかもしれない。ただ、ひとつだけ言えることは長男としての役割をせよ、ということである。

‥そう、今さら「ちちばなれ」も出来ない男の戯言である。   
                                        平成十二年八月十八日 晴れ

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