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2013年5月の記事

2013年5月16日 (木)

成否(せいひ)

5月16日(木) 曇り 


夜半か朝方間近なのか、まだ薄暗い部屋の中でうっすら目を開けると枕元に「はなこ」が座っている。もっと正確にいえば、こちらの頭は枕からすっかりずり落ちてしまい「はなこ」が枕の上に平然と座り込んでいる。昨夜の酒が抜けきれていないというのに「はなこ」の細めて見つめる目力は安らかな眠りに針を刺し淡い夢も瞬く間に断ち切ってしまう。目と目が合えば待ち焦がれていたように首をヒョコリと横にかしげ、か細く短い声で『ナァ』と鳴いてみせる。懐に入りたいのかと軽く布団を持ち上げ谷間を作ってやると小刻みに頭を縦に振りながらその中へと突きすすみ、ちょうど脇とみぞおちのあいだ辺りで二度三度と体を回転させ腹にまつわるように寝そべる。寒かったのか甘えたかったのか分からない。
しばらくすると布団の中から、ぐるぐるという音が耳にまで伝わってきた。手のひらで軽く柔い毛を撫でてやると小刻みに前足を動かす動作が始まったのがわかる。甘えているのだった。
猫というのは犬とは明らかに違った感触と温もりがある。だからといって「はなこ」と紋次郞の温もりや感触が同じだというのでもない。彼らの共通するところは触れ合う温もりを感じさせてくれるところにある。なんてクサイセリフを吐くような中年になったのかと自分でも思う。けれどもそんな感情を抱いて3年が過ぎようとしているのが事実なのである。
この頃やけに昔のことを思い出したりすることが多くなった。これを歳のせいにしていいのだろうか。


両親が離婚し母が朝晩と働きに出掛けるようになってからは、ひとりの時間が多かった。母と顔を合わせ会話が出来るのは目覚めてから学校にいくまでのほんの少しの時間にかぎられていた。学校から帰宅するとテーブルに置かれた夕飯を温め直すことから始まる。電話線も引かれていない部屋に電子レンジというハイカラな家電などなかった。温めはすべて鍋かフライパンでするものだと思っていた。そう思うと今は便利になったものだとつくづく思う。夜半眠くなると部屋の隅に畳まれたせんべい布団を引いては、ひとりで床についていた。冬だろうと夏だろうと独特の冷えを感じた布団だった。6畳と四畳半のアパートの広さは、ひとりっ子にはちょうど良かった。それ以上の広さがあると返って寒さが増していただろう。近所の食卓の明かりが妙にうらやましく見えたりしたもので、大人になったらちゃんとした家庭を持とうと強く思った時期もあった。母の留守の合間に何度か別れた父が顔を出すようなことがあった。まだ少年である。ひとりで居る時間は寂しいものだったが、父の姿、声、匂い、そのどれに触れるのも苦痛でしかなかった。親が思う感情と子が思う意識の違いだったのか、父としての存在そのものを否定しつづけていた生理的なあがきそのものだったのかもしれない。


日記には書けない記録、そういう類いのものがあっても不思議ではなく、むしろ当然だと思っている。先日、古里に帰り40年ぶりに幼なじみらと逢ってから、トラウマだったいくつかが消えようとしているのを感じている。それを自分の言葉で伝える文として、たとえるべきものが今のところ思い浮かばない。おもしろおかしく語ればそれなりにもなるのだろうが、ありあわせの言葉を用いてしまえば、あの時のいたたまれなさ、切なさ、体感がうすれてしまう。いままで誰にも語った覚えのない、この身には語れなかったことがいっぱい詰まっており、かろうじてそれを誰かに伝えられるのは沈黙するこの身そのものでしかないことに、ようやく気づきつつある。書く意味のないと思うことから自身へと書くとなると、書けないことも書きたいことも結構あるものである。殴り書きにしかならないが、それがいつか無意味ではないことにつながればそれだけでよい。

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―― 時が経ち、成人して間もない頃に結婚し娘が誕生した。今さら娘と呼べるような身分ではないのかもしれないが、血は繋がっていることに違いない。むかし思った親子の感情と意識の違いが逆転してしまい、自身の思いに矛盾が出来ていることは承知である。家庭とか結婚という形に憧れていた時代から、そうでない時期に差し掛かっていた頃の結婚だったのかもしれない。たった数年の家庭というものは崩れるのも、また早いものだった。協議離婚という格好で終止したものの、話合う以前に話し合えないことを互いに抱えていた離婚でもあった。男女のことは今さらどうでもいい。所詮ただの男と女でしかなかったのである。親と似たようなこと、いや、同じ道を歩んでしまった気がしてならなかった。離婚後の養育費と生活費の請求に対しての反論はしなかった。こちらは月に一度だけでも娘と逢える、それだけで充分だったのだから‥。

最初の月はまともに逢えた。二度目の月は用事があるとのことで30分ほどしか逢えなかった気がする。3度目はどれだけの時間を過ごしたのかも忘れてしまっている。市内にあるオモチャ屋の店内を3人で歩いていた。あれから何十年もたったというのに今も店は存在している。その前を車で走り通るたびに不意にアクセルを踏みつける癖がついた。気分が落ち込んでしまうというか、何なのだろう困ったものである。
まだ3歳になったばかりの子だった。親らしく父らしいことなど何もしてやれないままだった。本当は「お父さん」と呼ばせるのを願っていたが、まだそのようにむずかしい言葉を話せる年頃でもなく「パパ」と教えることからはじめた。どの家庭の子も同じなのだろうと思っているのだが、最初に覚えたのは「まんま」だった。メシと母との言葉が同じだったことに笑ったりもしたが、「パパ」という言葉を覚えるのに結構な時間がかかっていたことには笑えなかった。初めて「パパ」と呼んでくれた時のもらい受けた感情は私しか知らないものである。
その「パパ」と呼ばれていた存在が変わったという瞬間をもらい受けたのがオモチャ屋の店内でのことだった。それがどういうことを示しているのか、まだ若かった私にでさえ簡単に想像はでき、それから理解し終えるまでに時間など掛かりもしなかった。

「何がほしい‥」

あどけない笑顔をこぼしながら娘がほしいオモチャに指を指して返事をした。

「えっとぉ、これがいい―。おじちゃんは‥」

少し女の口元が笑ったかに見えた。

「お、おじちゃん? そう、おじちゃんもこれが‥」

全体が薄れかけて言葉だけが浮かび上がってくる記憶となってしまっている。あの時の記憶の断片が頭の中で浮かんだ時に、それを打ち消してくれるすべをいまだに知らない。「おじちゃん」と呼んだ言葉のあとの自分の姿がどうしてもしっくりと思い浮かんでもこない。足下をすくわれていた頼りなさだけが記憶の隅に残っている。もう逢わない方がいいという流れになっているのか‥。そう判断した。それが娘との最後だった――。
いつも季節はずれのような歩をしている気がする。この歳になり、少年期にあれほど嫌っていたボロ家に住みついてみたり、亡き後に父を認めてみたり‥。
ただ、ここに住んだことによってオマケ軍団という家庭を持つことが出来たことは有り難く幸いなことである。生まれて数年しか経っていない軍団の温もりと感触、仕草にどれだけ助けられている毎日なのだろう。酒に酔いつぶれながら寝床につき、寝起きからは猫に酔い犬に悪酔いする。朝は何かとバタバタとするが、儲けに結びつくことは何ひとつない。そんな生活も悪くないものだと思うようになってしまった。オマケ軍団に対して感じるような純粋な温かい愛情をもっと昔に抱けなかった自身を悔やんでみたりもする。あの時代にそういう事が可能だったなら、もう一段人間として高い存在に成っていたのかもしれない。だからといって今さら後悔しても始まらない。反省しなければならないことは沢山ありすぎたとしても後悔しようがないのである。かりにそれが出来たとすれば、おそらく想像のない罪悪と孤独な愁嘆を感じることになるのだろう。いい加減な歳でいい加減なオヤジは、オマケ軍団とじゃれ合い、そして人は人として尊敬し親しみ、憎しみは酒で酔い潰すしかほかない。

目が覚めたのか、「はなこ」が布団の中から顔を突き出してきた。膝の上にひょっと飛び乗り口元をなぞり付けている。顔を近づけてみると、「ンンッ」と、さっきよりいっそう小さな声で鳴く。それは寂しいというのではなく腹が減ったという「はなこ」流の合図である。重々しくなってしまった気持ちが、かすかな鳴き声によって安らかにやわらいでしまうのも不思議なものだ。

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 ―ちちばなれ―

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