カテゴリー「履歴書(自分史)」の記事

2013年5月16日 (木)

成否(せいひ)

5月16日(木) 曇り 


夜半か朝方間近なのか、まだ薄暗い部屋の中でうっすら目を開けると枕元に「はなこ」が座っている。もっと正確にいえば、こちらの頭は枕からすっかりずり落ちてしまい「はなこ」が枕の上に平然と座り込んでいる。昨夜の酒が抜けきれていないというのに「はなこ」の細めて見つめる目力は安らかな眠りに針を刺し淡い夢も瞬く間に断ち切ってしまう。目と目が合えば待ち焦がれていたように首をヒョコリと横にかしげ、か細く短い声で『ナァ』と鳴いてみせる。懐に入りたいのかと軽く布団を持ち上げ谷間を作ってやると小刻みに頭を縦に振りながらその中へと突きすすみ、ちょうど脇とみぞおちのあいだ辺りで二度三度と体を回転させ腹にまつわるように寝そべる。寒かったのか甘えたかったのか分からない。
しばらくすると布団の中から、ぐるぐるという音が耳にまで伝わってきた。手のひらで軽く柔い毛を撫でてやると小刻みに前足を動かす動作が始まったのがわかる。甘えているのだった。
猫というのは犬とは明らかに違った感触と温もりがある。だからといって「はなこ」と紋次郞の温もりや感触が同じだというのでもない。彼らの共通するところは触れ合う温もりを感じさせてくれるところにある。なんてクサイセリフを吐くような中年になったのかと自分でも思う。けれどもそんな感情を抱いて3年が過ぎようとしているのが事実なのである。
この頃やけに昔のことを思い出したりすることが多くなった。これを歳のせいにしていいのだろうか。


両親が離婚し母が朝晩と働きに出掛けるようになってからは、ひとりの時間が多かった。母と顔を合わせ会話が出来るのは目覚めてから学校にいくまでのほんの少しの時間にかぎられていた。学校から帰宅するとテーブルに置かれた夕飯を温め直すことから始まる。電話線も引かれていない部屋に電子レンジというハイカラな家電などなかった。温めはすべて鍋かフライパンでするものだと思っていた。そう思うと今は便利になったものだとつくづく思う。夜半眠くなると部屋の隅に畳まれたせんべい布団を引いては、ひとりで床についていた。冬だろうと夏だろうと独特の冷えを感じた布団だった。6畳と四畳半のアパートの広さは、ひとりっ子にはちょうど良かった。それ以上の広さがあると返って寒さが増していただろう。近所の食卓の明かりが妙にうらやましく見えたりしたもので、大人になったらちゃんとした家庭を持とうと強く思った時期もあった。母の留守の合間に何度か別れた父が顔を出すようなことがあった。まだ少年である。ひとりで居る時間は寂しいものだったが、父の姿、声、匂い、そのどれに触れるのも苦痛でしかなかった。親が思う感情と子が思う意識の違いだったのか、父としての存在そのものを否定しつづけていた生理的なあがきそのものだったのかもしれない。


日記には書けない記録、そういう類いのものがあっても不思議ではなく、むしろ当然だと思っている。先日、古里に帰り40年ぶりに幼なじみらと逢ってから、トラウマだったいくつかが消えようとしているのを感じている。それを自分の言葉で伝える文として、たとえるべきものが今のところ思い浮かばない。おもしろおかしく語ればそれなりにもなるのだろうが、ありあわせの言葉を用いてしまえば、あの時のいたたまれなさ、切なさ、体感がうすれてしまう。いままで誰にも語った覚えのない、この身には語れなかったことがいっぱい詰まっており、かろうじてそれを誰かに伝えられるのは沈黙するこの身そのものでしかないことに、ようやく気づきつつある。書く意味のないと思うことから自身へと書くとなると、書けないことも書きたいことも結構あるものである。殴り書きにしかならないが、それがいつか無意味ではないことにつながればそれだけでよい。

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―― 時が経ち、成人して間もない頃に結婚し娘が誕生した。今さら娘と呼べるような身分ではないのかもしれないが、血は繋がっていることに違いない。むかし思った親子の感情と意識の違いが逆転してしまい、自身の思いに矛盾が出来ていることは承知である。家庭とか結婚という形に憧れていた時代から、そうでない時期に差し掛かっていた頃の結婚だったのかもしれない。たった数年の家庭というものは崩れるのも、また早いものだった。協議離婚という格好で終止したものの、話合う以前に話し合えないことを互いに抱えていた離婚でもあった。男女のことは今さらどうでもいい。所詮ただの男と女でしかなかったのである。親と似たようなこと、いや、同じ道を歩んでしまった気がしてならなかった。離婚後の養育費と生活費の請求に対しての反論はしなかった。こちらは月に一度だけでも娘と逢える、それだけで充分だったのだから‥。

最初の月はまともに逢えた。二度目の月は用事があるとのことで30分ほどしか逢えなかった気がする。3度目はどれだけの時間を過ごしたのかも忘れてしまっている。市内にあるオモチャ屋の店内を3人で歩いていた。あれから何十年もたったというのに今も店は存在している。その前を車で走り通るたびに不意にアクセルを踏みつける癖がついた。気分が落ち込んでしまうというか、何なのだろう困ったものである。
まだ3歳になったばかりの子だった。親らしく父らしいことなど何もしてやれないままだった。本当は「お父さん」と呼ばせるのを願っていたが、まだそのようにむずかしい言葉を話せる年頃でもなく「パパ」と教えることからはじめた。どの家庭の子も同じなのだろうと思っているのだが、最初に覚えたのは「まんま」だった。メシと母との言葉が同じだったことに笑ったりもしたが、「パパ」という言葉を覚えるのに結構な時間がかかっていたことには笑えなかった。初めて「パパ」と呼んでくれた時のもらい受けた感情は私しか知らないものである。
その「パパ」と呼ばれていた存在が変わったという瞬間をもらい受けたのがオモチャ屋の店内でのことだった。それがどういうことを示しているのか、まだ若かった私にでさえ簡単に想像はでき、それから理解し終えるまでに時間など掛かりもしなかった。

「何がほしい‥」

あどけない笑顔をこぼしながら娘がほしいオモチャに指を指して返事をした。

「えっとぉ、これがいい―。おじちゃんは‥」

少し女の口元が笑ったかに見えた。

「お、おじちゃん? そう、おじちゃんもこれが‥」

全体が薄れかけて言葉だけが浮かび上がってくる記憶となってしまっている。あの時の記憶の断片が頭の中で浮かんだ時に、それを打ち消してくれるすべをいまだに知らない。「おじちゃん」と呼んだ言葉のあとの自分の姿がどうしてもしっくりと思い浮かんでもこない。足下をすくわれていた頼りなさだけが記憶の隅に残っている。もう逢わない方がいいという流れになっているのか‥。そう判断した。それが娘との最後だった――。
いつも季節はずれのような歩をしている気がする。この歳になり、少年期にあれほど嫌っていたボロ家に住みついてみたり、亡き後に父を認めてみたり‥。
ただ、ここに住んだことによってオマケ軍団という家庭を持つことが出来たことは有り難く幸いなことである。生まれて数年しか経っていない軍団の温もりと感触、仕草にどれだけ助けられている毎日なのだろう。酒に酔いつぶれながら寝床につき、寝起きからは猫に酔い犬に悪酔いする。朝は何かとバタバタとするが、儲けに結びつくことは何ひとつない。そんな生活も悪くないものだと思うようになってしまった。オマケ軍団に対して感じるような純粋な温かい愛情をもっと昔に抱けなかった自身を悔やんでみたりもする。あの時代にそういう事が可能だったなら、もう一段人間として高い存在に成っていたのかもしれない。だからといって今さら後悔しても始まらない。反省しなければならないことは沢山ありすぎたとしても後悔しようがないのである。かりにそれが出来たとすれば、おそらく想像のない罪悪と孤独な愁嘆を感じることになるのだろう。いい加減な歳でいい加減なオヤジは、オマケ軍団とじゃれ合い、そして人は人として尊敬し親しみ、憎しみは酒で酔い潰すしかほかない。

目が覚めたのか、「はなこ」が布団の中から顔を突き出してきた。膝の上にひょっと飛び乗り口元をなぞり付けている。顔を近づけてみると、「ンンッ」と、さっきよりいっそう小さな声で鳴く。それは寂しいというのではなく腹が減ったという「はなこ」流の合図である。重々しくなってしまった気持ちが、かすかな鳴き声によって安らかにやわらいでしまうのも不思議なものだ。

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 ―ちちばなれ―

2013年4月30日 (火)

回想

4月11日(木)

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春の朝のささやかな寒気は嫌いではない。朝はいつも縁側で寝起きのタバコを一本吸いコーヒーを飲むのが日課になっている。オマケ軍団が来てからというもの屋内でタバコを吸うことがなくなった。おかげで部屋はヤニ臭くもなく火の気の心配も減ったが、冬場は妙に惨めに思えたりするのである。我が家の中庭には小鳥が入り込んでくることがよくあり、今朝も一羽の小鳥が庭石の上にいるのを見かけた。なんという鳥か目をこらせば見分けられたのかもしれないが、老眼まじりのオヤジにそこまでする視力も好奇心もない。仔猫だった紋次郞が我が家に来たばかりの頃、庭に放って遊ばせていると塀の上から二羽のカラスが目を光らせていたことをふと思いだす。あの時のカラスは間違いなく小さな仔猫を標的にしていたに違いない。幸いにもスパイクが紋次郞のそばから離れずにいてくれたので案ずることもなかったが、内心ヒヤヒヤしていたのが本音である。この時のスパイクはとても頼もしく利口な番犬に思えたりもしたが、『この時だけ』の偶然であった。今思うとあれは最初で最後の奇跡、もしくはまぼろしでしかない。


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――夕方から金澤まで足を運んだ。ひとりで電車に乗るなんて何年ぶりだろう? むかし何ひとつ言えないまま別れとなってしまった幼なじみと、地元の安いホルモン屋で逢う約束をしていた。幼年期を過ごしたアパートの向かいにあった小さな店だった。子供の視線から大人へとなったことで、ところどころの景色やそばにあった脇道が思っていた記憶より狭く小さなものに見えたことに多少の戸惑いはあったにせよ、何かが変わっていたということはなかった。違っていたことといえば住んでいた木造アパートが取り壊されていたのと、ワンパク坊主がオッサンの顔に変身していたことぐらいである。
小学2年になりクラス替えをしたばかりの春に県外へ転校した。前日までそんなことも知らず自身の耳に入ったのも当日の職員室でのこと、その数時間後には知らない土地へと向かうトラックの荷台の中で荷物と一緒にうずくまっていた。あれから30年、いや40年近くになるか‥。


ホルモン屋ののれんを潜ると座敷に座った。やはり日本人なのか座敷で飲むとうちとけるのが早い。四十数年も生きていればそれぞれに何らかの苦労話もあっただろうが、そんなことはどうでもよかった。すでに気持ちはあの時代、あの頃の少年へとタイムスリップし思い出話のみに花が咲いていった。もう忘れられているのだろうと思っていた自身の存在を事細かに記憶していてくれたことに胸を打たれると同時に、今さらながら素直になれる居場所を見つけられたことにうれしさを感じていた。


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オマケ軍団がボロ家で待っていることもあり時間は限られていた。時間の流れは思う以上にはやく過ぎ、時計の針もいつのまにか10時をまわっていた。「そろそろか」と、帰る電車の時刻を気にしながら名残惜しむように店を後にする。数分歩けば町駅があった。その間の帰路はまわりの景色を見ることもなく地面ばかり見て歩いた。帰りの電車のなか、ぼんやりと窓に目をやった。暗闇を吸ったガラスは鏡となり自身の姿を映し出している。引っ越し、転校を繰り返してばかりの少年期を送っていた。心の中から否応なしに湧いてくる感情に振り回され、意思とは別に生まれてしまった心の傷がいくつも植えつけられていく瞬間を経験してきた。もっと早くに故郷へ行っていれば良かったのかもしれないが、それはどうも、若い時代において面汚しの行為をさまざましてきたせいか、人というものを信じれず生きた時代がながく、思うように出来なかったのである。そんなトラウマになっていた欠片のひとつが今日の出逢いで薄れていったのを実感していた。

帰宅すると軍団の影が玄関扉のスキガラスがら浮かび上がっていた。闇の中にひっそりとうずくまりながら待ちぼうけていたオマケ軍団のことを考えると、ただただ抱きしめてやりたくなった。冷えた体を抱けば肌に触れる毛の1本1本から迎えられている情感が広がっていく。何となく歳を喰ったせいか感情が高ぶりやすくなってきているのか、妙に今日は胸が熱くなる1日だったようである。番犬にはほど遠い先住犬と重力を無視した猫の動きに癒やされながら、この後、オマケ軍団と二次会をはじめた‥。

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2013年3月 6日 (水)

分水嶺

道端の水溜りに薄く氷が張っているのを昔はよく見かけたものだが、今では土の道もほとんどなく、しばらく氷や霜柱の上を歩いたりしていないような気がする。朝ピリッとした空気に新鮮な何かを覚えた子供の頃とは違い、寒さへの防御とか鍋の材料とか、とかくロマンのないことばかりが頭の中をよぎっていくのは歳のせいだけなのだろうか‥。気がつけば秋は遠に過ぎ、もうじき冬も終わろうとしている。


Burog

2月28日(木)晴れ 気温13度

二十数年ぶりの旧友と酒を酌み交わした。仕事のこと、身体のこと、生活のことと限られた時間もあることから、互い荒削りな会話になってしまったが、若い頃とは違う穏やかな旨い酒が呑めた。

若者と飲むこともしばしあるが刺激というか何かが多すぎるのだろう、酒の味がとげとげしく感じたりする。
妙に声が大きかったり、熱く語ったり、時に説教されているような感覚に陥ることまである。おおよそ話の内容じたいについていけないからなのだろうが、どうも思うような酒が味わえない。たぶん若い時代の自分もそうだったのだろう。ともかく、いい気分で呑めるということは嬉しいものである。このような気分になれるのは最近になってからかもしれない。これから先、味深い酒が呑める、そんな予感がしている。

また友と酒を交わすことを約束している。その日が楽しみでしかたない。

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― 2月28日 (夜分) ―

夜の十時半をまわったところ、時代劇を観ながら残り酒を呑んで酔いつぶれかかっている。

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いつまでも子猫であってほしいという願望を追い越して体型だけは容赦なく成長しているように思える。うちに来た当初の「はなこ」は食い意地が汚く、むやみにガツガツしていた。しかし不思議なものでこの粗野な食い物に対する本能はいつとなしに良い方へと向上し、あのあまりに見苦しかった食欲もだんだん尋常になっていった。振る舞いもいくらかおっとりとしてきたが、それでも生まれもった無骨さはそう容易には消えそうもない。そのつど必要な量だけを何度かに分けて食べる紋次郞のエサを、誰もが気づかぬうちに平らげる「はなこ」の食欲はいまだ健在である。

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2012年8月 1日 (水)

変節

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玄関先に植えた紫陽花(あじさい)が今年も花を咲かせた。
入梅に開花し雨に濡れながら少しずつ色を変え梅雨明けには花仕舞いしていく。けなげに色を失っても花びらを散らさずにいる紫陽花を見ていると何かにじっと耐えているように感じてしまう。

 ―5月―

春過ぎから近辺が騒がしい。ここへ引っ越してきたばかりの頃、「環状線が通る以前は、ここらいちめんが田んぼばっかりでなぁ、わしが最初にこの場所に家を建てたんだ‥」と、気さくに昔話をして笑っていたS氏がゴールデンウィーク中に亡くなられた。葬儀も終えた明くる日の夜、S氏宅の前を横切ったところ、何となくそこにいるような気を感じたので軽く最後の会釈をして通り過ぎる。今思えば朝早くからいつも門前にたたずんでいたS氏の残影が頭の片隅に浮かんでいただけなのかもしれない。暗い夜道だったからといって人がいう怖いという印象とはまったく違うものを感じていた。

帰宅するにあたって玄関の扉を開けると、いっせいに尾を振って嬉しそうに迎えてくれるオマケ軍団の姿に顔がほころんでしまう。外に出れば良いこともあるが嫌なこともある。昔は酒でまぎらわしたものだが、今は扉を開けるだけで気が楽になっている。

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 ―6月―

去年より両指の力が入らないと言っていた母を大学病院へと検査入院させたのが六月の中日あたりで、その間に三件隣のKu-soじじいも脳梗塞で緊急入院、高齢者とその家族が住む我が家の隣接は穏やかな環境のように思えていたが、不幸は意外にも相次いでいる。数日してまた救急車が近辺で止まった。運ばれたのはS氏の娘だった。数時間前に普通に話をした直後だったということもあり、急性心筋梗塞で意識不明だと耳にし愕然とする。

6月16日(土)くもり 気温28度

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我が家に紋次郞が来て今日で二年が経った。オマケ軍団は言葉を覚えたように鳴き声を変え話しかけてくる。「はなこ」は庭でスパイクと一緒に遊びほうけている。このところ外出することが多くなってから、紋次郞が側から離れなくなった。仔猫の頃から風呂もトイレも一緒に付いてまわる猫だったがあまりにも甘えてくるので、ある意味心配している。庭に放っても「はなこ」やスパイクとは違い私の足下からなかなか動こうとしない。あるていど外気に慣れてくればようやく遊びだしたりもするが、こちらの方ばかりを気にしている様子である。‥やはり同性愛か? 
まあ、何であれ乾杯。

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「ごはん」が欲しい時には「おにゃ~ん」と鳴く。忙しく手が離せない時など彼らの要求をつい無視してしまうが、ポンポンとやわらかな肉球で叩いてくる紋次郞の振る舞いに何時も遣られてしまう。何ともカワイイ風景と、遠目でヨダレを垂らしているスパイクのキモコワイ風景がいつも重なる。

6月28日(木)

二週間におよんだ母の検査入院も終わり退院に向けて主治医に、とある一室へと案内させられる。指のしびれ以外は必要以上に健康な母はストレスもしくは神経痛だとしか考えていなかっただろう。これまでも外科、内科と病院を数々と変えながら色々な診療をしてみたが、それといった診断はまったく下されなかったのだから、私自身も安易な考えしか浮かばなかったものだ。


(診断結果)

病名=『ALS』(筋萎縮性側索硬化症)と告げられる。

発病から心の臓が停止するまでにあたっての話が二十分足らずで説明された。
「この病気は約十万人に一人か二人の難病指定されているものです。おおよそ半年から一年ほどで物が食べれなくなり話せなくなります。まず寝たきりになることは覚悟して下さい。余命は早くて半年、おおよそ、二、三年ぐらいだと思ってかまいません。ただ人工呼吸器をつけない場合であって、装着すれば何年かは生き延びれます。しかし本人は話すことも出来ず全身も眼球も動かすことが出来なくなってしまうため、辛い思いをすることになります。この病気は麻痺してしまうというのではなく筋肉だけが減少していくので、普通に痛いとか痒いとかを感じられるのです。それを相手に意思表示することが出来ない苦しさが生じます。また介護も老人介護とは異なり想像以上に困難なものとなるでしょう。胃ろう、人工呼吸器については十分に話合って下さい。一度この呼吸器の選択をしてしまえば外すことは出来ません。それをしてしまうと殺人罪になってしまいます。装着率は7対3の割合で本人及び家族との話し合いで「延命治療」をしない方が多少多いのが現実です。ただしそのどちらを選択しても辛いことになるでしょう。やがて訪れる状況で人工呼吸器をつけないにしても本人は眠っている状態なので安らかなものです。またそれ以前に肺炎になってしまう可能性もおおいにありえますので、その辺も今後の通院の中で説明していこうと思っています。治療法は今のところまったくありません。ただ進行を遅らせるといわれる薬は飲ませようと考えています。これは高額なもので一粒4000円ほどします。それを一日朝晩二錠飲んでもらうことになります。最初に説明しておきますが、これを飲んだからといって進行がどれだけ遅らせるかと言えば人それぞれではありますが、たいした結果にまで至りません。ひとつの救いがあるとすれば、私がヤブ医者でこの診断に誤りがあったということだけでしょうか。そうであることを願うだけです」

本人を目の前に平然と説明を続けていく主治医に対し、ただ呆然と聞き入る素振りをしていただけの時間だった気がする。帰宅してからも他人事のような気分が抜けきれず、しばらくはドラマの世界に入り込んでしまったようなとても不思議な気分で過ごしていた。医師からのあまりにも突発的な発言に込み上げてきた怒りを感じる時もあった。そうかといって誰もが言いにくいことを最初に母に話してくれたことに感謝したりもした。もう他人事でない、病気に対しそれを理解しようとあらゆる調べごともした。お陰である程度、文面的なことはわかった。だが何も知っていないのだろう、現実がこれから降ってくるまで‥。


この歳になると『祝い事』よりも『うれい事』のほうが多くなってきた。人は喜びは共有できるが苦しみや悲しみは、その根のところで共有できないものだと思っている。それが親子であっても私は思うことしか思えず、出来ることしかしてやれない。

病名に対し、そして親と子に関しての昔日な思いや他とは比べようのない複雑な環境と感情が交わってのこともあり、今後これらに関しては他のブログ日記を立ち上げ書いていこうと思う。

 6月29日(金)

一時は危篤にまでなったS氏の娘が後遺症もなく無事に退院してきた。私とよく似た年代なのだが、とてもパワーがあり若々しく見える。フランスに永く移住しパリコレのデザイナーをしていたらしいが、なぜか今は犬のブリーダーをしている。独り身のまま一風変わった生き方をしていると思ったりもするが、それはお互い様なのかもしれない。
今にして思えばS氏が亡くなってから日に日に気が抜けたようにぼんやりとし痩せこけていった夫人が、今回の娘の生死によってしっかりしだしたのだから、見えない働きかけが何処ぞからあったのかもしれない。‥と勝手に思っている。

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 6月30日(土)

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小さな裏庭の塀の向こうに男松と女松が植えてある日本庭がある。二階の窓を開ければまるで我が家の庭のように見えてしまい、オマケ軍団はボロ家のつづき庭だと思い眺めている。門から屋敷までには少し距離があり、緩やかに曲がりくねった小幅の道筋から池に跨がる石橋を渉り玄関口へと向かう。一見風流でオシャレな造りだが、老人二人で住むには不自由が多いらしい。冬は積雪により池と橋の区別がつかなくなり、雨の日は滑りやすく危険なうえ庭の手入れに金が掛かりすぎるという愚痴を何十回と聞かされたものである。昔はどこぞ高校の校長先生だったようで屋敷内の所々にワケワカメ本がギッシリと積み上げてある。それが去年の夏辺りからアルツハイマーになってしまい今のところ本人がワケワカメになっている。私の父もアルツになっていったが、周りが思うほど本人は不幸せでもなさそうだ。

ここの夫人の話を聞いていると自然に町内の知らない事情が得られた。今年の豪雪時期は一緒に雪掻きをしながら、春には朝夕と庭に水をまいている時間帯にここら住民の性格や秘話まで教えられた。一年を通しほぼ毎日のように話し相手にもなっていた夫人が、夜遅く他界したと聞かされたのは翌朝のことだった。晩年七十六歳、いつの間に入院していたのかも知らず夫人の本当の年齢も知らなかった。何でも話してくれた夫人だと思っていたが、言わなかったことがひとつふたつとあったということだ。そう言えば母も七十を過ぎたというのに年齢をごまかしたりしていた。ひとつふたつ、さばを読んだからといって何がかわるのだろうか、と思ってしまう。


当夜は日本酒を呑む。別に感傷的になっているのではないが、いささか苦い味がする。しかし勢いがつくと呑みすぎて記憶が飛んでいる。だから本当に苦く感じたかは定かでない。ここが自分のいい加減なところなのだが、かようなだらしのないところが自身の酒の長所だと思っている。
完璧にいようとしたばかりに思うようにならないことにすぐ腹を立てていた若い時代よりよほど生きやすい。


 7月31日(火) ―猛暑日―

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梅雨明けぐらいからだったか、いつものように「はなこ」がこちらへ寄り添ってくると紋次郞が嫉妬するようになった。毎朝きまったように「はなこ」はピンクの猫じゃらしを銜え目の前に来てはポトリと口から落とす。それを辺にポイと投げると、まるで犬のように銜え運んでくる。猫にしては奇妙な行動をするものだと階段下にまで放ってみたことがあったが、いつも以上に楽しげに、また自慢げに口に銜え目の前にまで運んでくる。夕方になれば決まってキーボードの上に猫座りをかまし、その真下にはピンクの猫じゃらしがちゃんと置かれている。余計なことはせず遊べと言わんばかりの態度だ。それが「はなこ」とのふざけた時間だった。いつも高台から遊び姿を眺めているだけだった紋次郞が明らかに邪魔をするようになった。それでも「はなこ」が甘えようとすると追い遣られそうになる。そんな状況が何度も続いたうちに、紋次郞の気づかない時にだけ寄り添うようになった。それにしても真夜中にそげな荒技で甘えなくても良かと思うのだが‥。 今朝の髪型はなかなかイマイチだぞっ。


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2012年3月 5日 (月)

遊惰(ゆうだ)

3月1日(木) 晴れのち曇り 最高気温8.6 最低気温-0.9

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何日も降った雪のあとに洗われたように澄んだ青空が広がるということが繰り返されるようになったこの頃、中庭に積もっていた雪もずいぶん浅くなり春の気配もそろそろかと感じられることにホッとしている。冬の北陸に雪はつきものとはいえ、この二月中の大雪を体験してしまうと去年の豪雪が小雪にしか思えないのもしかたない。朝から降りつづく雪の中で終わりのないような除雪をはじめると昼はとうに過ぎてしまい、夕刻間近にもなれば酔ったように足腰がひょろけ、いいオヤジからいいじじぃに変移している。ただの雪かきだというのに何かを成し遂げたかのような錯覚と久しぶりに味わう筋肉痛が鈍った一部を刺激し自己満足に浸っているような気分にもなる。それでいて温燗のひと口ひと口が旨くて堪らなくもなるのだが、二合のとっくりを空ける前に眠くなるという日夜を過ごしているうちに書き続けると決めていた日記も捨て置くまま日々が過ぎていったようである。

先ほどから爪切りと爪研ぎが嫌いな「はなこ」が膝の上で必死に自分の爪を噛んで引き抜こうとしている。初めて目にした時は驚いたものだが、今となっては見慣れた情景のひとつでもある。踏ん張る顔つきはどう見てもオンナを捨てきったようなオゾロジイ表情なのだが、捨てなくともオンナとは元々裏表があるものだと思い出した。

一月中旬から二月にかけての微かな記憶がすり替わらないうちに書き残せることは書き残すつもりでいるのだが、早くも細かいことはさっぱり忘れている。記憶力とサイフの薄さは相変わらずの自慢でもあり、今年も引き続きそうな気配が漂う。

2月×日…雪

オマケ軍団とオッサンの気の抜けたような正月が過ぎたと思ったら、近所周辺の除雪作業にひとり追われている。高齢者ばかりのせいもあり誰も共用通路まで除雪していないという有り様。致し方ないところもあるが正直ネコの手も借りたい心境である。肝心な時に調子が悪くなった除雪機に「役立たずめ!」と悪態をつくも、そのまま自身に跳ね返ったように思えてならない。スコップだけの手作業に追われ両手のひらは肉球ならぬタコ球だらけ、これがネコの手を借りるということわざなのか‥。

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今日はスパイクとケンカをした日でもある。雪道すら見当たらない道を歩くほど気力もなく、スパイクの散歩が二歩、一歩と減っていったことに申し訳ないという気持ちはあるにせよ、明らかに不満を出しまくる態度にとうとう切れてしまう。謝るまで許さんという頑固さは両者似たところがあるので、ちょっとやっかいでもあるが態度をあらためるまでゆるさんつもりでいる。

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2月×日…雪
前日の疲れが抜けきらないまま朝を迎えることが多くなり、ふとんにしがみついて離れられない。耳元で鳴く「はなこ」の可愛いらしい鳴き声が徐々に怪獣の叫びに変わるころ、紋次郞もカギシッポで頬を往復ビンタしてくるという朝ならではの風景、去年から何度か違う起こし方をあみ出しているようではあるが、どれもスッキリ目覚めたためしはない。この家に目覚ましが無いのも軍団の規則正しい『有りがた迷惑』があるからである。

なにも朝起きたところからこうして書き始めることもないが、日記だろうが手記だろうが平凡生活の一日分など多くて二、三行、たいがい『昨日と変わらずじまい』と、短文な単文で済ませられる事柄ばかりである。今のところ昨日と違うのは下着と上着ぐらい、ジーパンは昨日と変わらずじまい。こう無駄なことしか浮かばないのは小学の頃から何ら変わらず、いい加減に変わったことも書かなくてはと考え探すうちに眠くなるパターンが多い。
スパイクは相変わらず不貞不貞しい目つきで「はやく謝れ」という感じ。一番の犠牲者は紋次郞と「はなこ」なのだろうが、こちらから謝るつもりなど更々ない。とりあえず軍団に朝飯を与えると、ちょっとだけよの散歩だけは済ませさっさと除雪に取り掛かる。
そういえば、この日より紋次郞が寝床の中に入らなくなってしまった。男と床を共することに抵抗があるのだろうか。そんなことはないのだろうが、少なくとも偶然ではない必然的なものがあるのだろうが、あえて深く考えないことにする。


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2月×日…今日も雪

スパイクは一日のほとんどをコタツの中で過ごしている。かわりに雪と遊ぶのが好きな「はなこ」は庭先に出たがってしかたがない。知れば知るほどスパイクと「はなこ」に犬猫の真逆さを感じている。昼を過ぎれば決まりごとに成ろうとしている「はなこ」の遊び時間がやってくる。お気に入りのピンクの猫じゃらしを銜えこんでパソコンの上にポトリと落とすのが彼女の合図である。面倒な時はそれを遠くに投げ捨てたりするが、それを銜え持ってくることを何度と繰り返す。気がつけばこちらのほうが遊ばれてしまっていることがほとんどのようだ。

決してスパイクに意地悪をしたつもりでないが、昼過ぎに「はなこ」に好物のカツオのオヤツを上げたところ、食わずに銜えてスパイクのところへ持って行く姿を見てしまった。ネコにそんなところがあるのかと驚く反面、大人げなくも涙ぐんでしまう。これにてケンカ事も終了。

午後になりネットオークションで安く落とした除雪機が届いた。数打ち当たるかとの予測が適中しすぎて、どれも購入することになり、まあ~高ついてしまったこと。

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2012年1月10日 (火)

いぶし銀

平成24年 元旦(日) 曇り 最高気温8.9 最低気温0.1

深夜零時を過ぎれば目の前に走る環状線も静かなもので何の気配も感じられない。数分前に除夜の鐘も鳴り終わりオマケ軍団はコタツから小さな頭だけを出し、やんわりくつろいでいる。めでたい日ではあるが昨日と見分けがつかないくらいよく似た感覚に、いまひとつ正月という実感がわいてこない。大人になるにつれ物事への新鮮味がなくなったというのもあるが、便利な世の中になるにしたがい情緒がなくなっているような気がする。昨日と違うのは年が変わったことと新聞がやけに分厚いというぐらいなものだろうか。そういえば「はなこ」も分厚くなってきている。女子というのは年を追うごとにそうなっていくものと聞いたことがあるが間違いなさそうでもある。


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新年を迎え笑みを浮かべながら届いた年賀状を読んだのもつかの間、光熱費が2万円を超えている請求書を目にし絶句する。初夢はまだ見ていないものの、先に悪夢を見たような初朝の雑煮はやけにしょっぱく感じた。コタツの中ではスパイクと「はなこ」が女子らしからぬ無防備な格好で爆睡、隣部屋のホットカーペットの上では道楽者のように大の字で紋次郞が寝そべっている。今年の抱負は『無駄をはぶいて切り詰める』、ちょっと可哀相な気もするが寝床場所は電源を落とさせていただく。出来る限り自家発電よろしく。電気代節約のため早めに祝い酒を呑んで寝るつもりでいる。無駄酒は止め昼過ぎよりヤケ酒に切り替えようとしている代表取乱れ役の決意でもある。

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1月9日(月)晴れのち曇り 最高気温6.6 最低気温0.3

家の裏にささやかだが日当たりのいい小庭があり、夜になればそこから月が見える。今日は満月のはずだが空が曇って月影は見えようとしない。ここに越して4度目の冬を迎え、ようやく安堵する家になってきたような感じがする。ここは古い建物なので立て付けが悪い。ギィッときしむドアもあれば全開にならない引き戸もある。気が向いた時に自己流で直してみたりはするが、犬猫がつけた爪あとは残している。柱に刻まれた二本のキズは去年の夏に紋次郞が初めてつけたものだ。かがみこみ抱き上げた時に驚いて胸元から逃げようとした時に残されたものである。和室の障子戸に残された数本の線は「はなこ」が今のように上手に引き戸を開けられなかった時につけたものだ。決して爪研ぎとして壁や柱にキズをつけることはいまだにない。罪もないざれごとでついたひとつひとつのキズはオマケ軍団との想い出の年輪としてボロ家にこれからも刻まるのだろう。そして気がついた頃には犬猫に飼われたくそじじぃになっているような気がする。

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2011年12月31日 (土)

他出/絆 

12月23日(金)曇りのち粉雪散る 気温2.5 最低気温0.5

冷たい風が頬を撫でる寒さはなにも外気ばかりではなく、木造二階建てボロ家内も似たところである。これからの寒い季節、暖房にもなる犬猫、そしてモモヒキは欠かせない。先日から雪が散らつく前に年末の買い出しを済ませたいと思っていたが、なかなか重い腰は上がらず軽いサイフは開かずラチがあかない。今日になり散らつきだした雪を見てやっとのことで出掛ける準備をし始めるが、やわやわとしているうちに昼も遠にすぎてしまった。さて、出掛けようかと立ち上がれば表情も変えずそそくさと紋次郞に知らせに行く「はなこ」をよそ目に、それが彼女の役割だったのかと今さら思い知る。

ごくごく普通に見送りしてくれるようなら気も楽だが、出掛けに「すぐ帰ってくる‥」、そう語ってみても、濁りのない瞳でひたと見つめてくる三匹である。語らずして目でものを言う寂しげな表情というのもいかがなものか。遊び好きなオトコを家屋に封じ込めるには見事すぎる攻防のようで、忘年会の誘いもすでに4件ほど断りを入れている。これもまた難儀なものである。ドラマ家政婦のミタのように『かしこまりました』とひとつ返事をしてくれれば、ちょいと飲み屋にも立ち寄れるというものだが‥。

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―午後3時―
出掛けに玄関の鍵を閉め外に出れば粗末なスクリーンのように玄関先の長細い曇りガラスから三匹の像がぼんやりと映し出された。トイレに入っても風呂に入っても出てくるまでじっとドアの前でうずくまって待っているのが紋次郞という長男である。きっと外出している間もそうなのだろうと思うと、後ろ髪を引かれるような思いになる。日が経つにつれ深まる一方の蜜月に、いつか来るペットロスが心配でならない。

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12月24日(土) 曇りのち綿雪 気温6 最低気温-1,7

空には灰色の分厚い雲が垂れ込めている。昼間だけあって電気をつけるほど暗すぎるわけではないが、本を読むのに適した明るさとは言い難い。このごろ老眼が入ったようで部屋がちょっと薄暗いと文字が読みづらい。子供の頃から視力が良かったので字がぼやけるという感覚を理解しきれなかった。メガネには縁もなく使ったとすればレイバンのサングラス、もしくはせいぜい色メガネで人を見るぐらいのことだったろうか。
いよいよ年の瀬もおしつまり世間ではクリスマス一色ではあるが、我が家はスパイクの記念日として祝いをあげながら酔い崩れる日となっている。
平成20年12月24日(水)晴れのち曇、あの日から3年が経ったと言うことは、楽しくも辛くもあった散歩をそれだけこなしたと言い換えも出来るわけだが、これから訪れる厳しい冬道のことを想像すると逃げたくもなる。

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―PM3:45―
夕方より風呂に入る。浴槽からの音に反応し紋次郞がヒョコヒョコとやってきた。風呂場の引き戸がわずかに開いていればいつかしら隙間を抜け湯船に引いてある風呂蓋の上に乗っかってくる。湯船に腰をおろし脚を伸ばし、ちょうど目の高さに紋次郞が見渡せるよう湯に浸かる。湯船の半分にフタをひいたままにしているのは紋次郞が座れるようにとの工作である。子供の頃からカラスの行水で名を上げていたオトコが、こうして長風呂を楽しめるようになったのも紋次郞という番台が訪れたからだろう。

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(去年の夏の写真:我が家に来て、ひと月が経った頃だったろう)

12月31日(土) 快晴 

―PM6:45―
今年も残すところと残った金もあとわずか、正月ぐらいは豪勢にと思ったのがあやまちで、後先も考えず買いあさってしまったようで懐がやけに涼しい。まあ新たな年を迎えるにあたってケチケチすることも無いのでクヨクヨだけしている。今年最後の時間も無事にオマケ軍団と過ごせたことを思えば嬉しいかぎりである。今夜は盛大にオマケ軍団と忘年会、何だかんだと色々あったような無かったようなしっくりもしない年ではあったが、家族全員が健康で居られたということは幸福だということだろう。手打ちそばならぬ手抜きそばの用意も出来た。あとは湯を注ぐだけである。それでは‥。


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ブログネタ: お酒は家飲み派? 外飲み派?参加数

2011年12月11日 (日)

洒脱

12月7日(水) 曇りのち雨 気温7度前後


時計を見ると、あと数分で今日も終わろうとしている。めずらしく酒を抜いたからなのだろう、久しぶりに遅くまで起きている。起きているのはいいが、これだと朝まで眠れない気がするので、キッチンへと出向き寝酒にと人肌つけてきたところである。師走の真夜中、静かな部屋でコタツにつかりながら、ぬる燗をちびりちびりと呑む中年の姿を想像すると、いかにも寂しい絵柄が浮かぶものだが、そうでもなく案外気楽で心地いい。ほんの数年前まで当たり前のように朝まで呑んでいたことを思いだしながら、今の生活感が性に合っているのかと、なまじ自身を疑ってみたりする。この頃、自分の本音と本性がどうなのかワケワカメな時があるのも本当のところ‥。そう頭の中で思い違いをしているうちに、どうやら日付も変わったようである。

―12月8日(木) 真夜中のほろ酔い、雨音だけが聞こえている。
ふと、コタツの中の空気が動いたかと思えば、ふくらはぎに温かなうぶ毛がこすりつけられた。毛ざわりからして「はなこ」だとすぐに分かる。猫と暮らしてから二度目の冬を迎えようとしていることを考えれば、やはり今の生活感が幸せなのだと思い返す。その毛の暖かさと柔らかさ、丸さといい、すっかり猫に愛着を抱いてしまったようだ。12月8日は「はなこ」が我が家に来た日にちにあたる。初対面だというのに、怖がらず、人見知りもせず、しかもひとことの礼も述べなかったというのに、きちんと両手を揃える挨拶だけは心得ていたようだ。小さくて鳴こうと一生懸命になっても声すら出なかった。そんな未熟児な仔猫が、なんと立派なものになったのだろうかと思うと急に胸が熱くなり、もう一杯だけ呑もうかと迷いだしている。

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去年12月の日記(クリック)


今、写真を見返してみると、やっぱりデブに成ってしまっているのがはっきりと理解できた。紋次郞も小さかったが、「はなこ」はそれよりまだ小さく、骨に毛が生えているようにも見える激やせぶりで何より目やにとネコ風邪がひどく、しばらく目も離せないほど心配させてくれた捨て猫だった。初めてエサを与えた時のことをはっきりと記憶しているが、あれは本当に酷い食い方でたまげたものだった。野生というより野獣のようで、その必死に食いつく表情にスパイクと紋次郞が腰を引いた様子が伺えれた。気を利かせたのかどうなのかは分からない、紋次郞はその時、エサをほとんど食べず残したものである。なかなか男らしいオカマだと今さらながら思えてならない。ただ、残したエサをすかさず食ったのはスパイクだと紋次郞は今も知らないわけだ。

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それらの思いからオマケ軍団には食うことだけには満足させているつもりでいる。それが彼らをデブセンに変えたのかと思えば、後悔先に立たずだとしか言えない。 
種々の出来事を含んだ季節の移ろいとオマケ軍団は切り離せないものである。古屋の気配がひといきに生まれ変わったのも彼らの存在あってに違いない。12月に「はなこ」を迎え入れ一年が経った。毎日が平凡だと思いながらも、いろいろな出来事があった気もする。家の火事騒動、日帰り旅行、決して遠くに出掛けたり新たなことが出来たわけではなかったが、いつもオマケ軍団が中心に思えた年だった。この小さな家族との暮らしは、だんだん当たり前に成ってきているようでもあるが、失うべきでない大切なものだということを忘れてはならないと思うばかりである。
‥完全に酔っている。そろそろ寝ようかと思っていたが、今しがた紋次郞が膝上に座り込んできた。もう少し呑んでいようか‥。

12月9日(金)雨のち晴れ、朝方、初雪となる。最高気温6.9 最低気温1.4

Omake


今年こそと意気込んでみた日記もふたを開ければ間が空くばかり、せいぜい昨夜のように酔いながら、つまらぬことを書くことしか出来ないように思える。布団の中で凍える寒さを感じていたかと思えば、今朝、初雪が降っていたようである。瞬時、スパイクと目が合うもすぐにそらしてみる。しかし、時すでに遅しと言わんばかりの火花散る散歩光線をまともに受けた朝を迎えてしまった。

今年の夏に新たに買ったこのノートパソコンも、日中は「はなこ」の座布団がわりになっているような状態で、パソコンひとつ開くにしても気苦労している。いない合間を見計らいこうしてキーボードを打っているわけだが、十中八九、そろそろ猫じゃらしを銜えやってくることだろう。女の感とでも言うべきか、「はなこ」のアンテナはずば抜けて鋭いのである。


日記とかと言っているが考えてみれば日記ほど相性の悪いものはなかった気がする。小学校の頃、夏休みの宿題で日記を書くことになっていたが、書かなくてはと考えれば考えるほど文が浮かばないものだった。日付と天気、あとは何時に起きたということぐらいなものである。ただでさえ国語力が無いというのに書きたいようなことも無かった。案外、日記というものは本当に嫌なことや恥ずかしいことは書けないのかもしれない。不向きではあるが、こうして間が空きながらも書いている今を思えば、これもまたオマケ軍団に楽しさと書く素材を貰っているからなのだろうか。はずかしくも、そう言葉として残しておきたいのである。「ありがとう」

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平成22年12月09日 (紋と「はな」の初の争い

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本来、この日が誕生日ではないにしろ、我が家に来た「はなこ」にとって記念すべき誕生日にあたる。ただ毎回ながら思うに、ケーキにつけるネーミングを注文するのが、、、はずかしい‥。



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2011年11月22日 (火)

妙齢 

二つの鈴の音が徐々に激しくなる。あたりを駆け廻っているのが目を開けなくとも様子は分かる。次に何をするのかも見当がつくようにまでなった。毎度のことなのだから―。

11月15日(火)曇り時々雨 気温12度
夜はオマケ軍団と同じ頃に寝床につくが、遅くても朝の6時半前にもなると二匹分の肉球が顔を踏んでいかれる。とにかく寝ている主人を起こすことから彼らの一日は始まるのだが、もう少し違った芸にしてもらいたいものだ。春先頃までは健気に顔を舐めたり、頭を肉球でつついて合図する程度だったものの、そのプニプニ感が返って心地よく、ついつい二度寝してしまうことが何度かあった。それから方法がいくどか変えられ今に至るわけである。

―午前―
今年の寒気は思うより早くやって来そうで、まだ冬に間があるというのに庭師の姿があちらこちらで見受けられる。隣家の広い庭も今日中には雪囲いが終わりそうだ。頃合いをみて我が家も冬支度をしなくてはならないが、庭木より母屋の方がどうみても心配だろうと眺めるばかり、不意に冬将軍のことを心配するようにもなれば、いよいよ年暮れかと一年を振り返ったりするのもなんら不思議ではない。にわかに芽生えたかと思えてた「芸術の秋」は今年も単に酔ったオヤジの妄想でしかなかったかのように過ぎ去っていく気配である。

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―午後―
昨夜、晩酌をしながらテレビをつけてみると、妖怪人間ふしゃふしゃやらがはいっていた。このごろ懐かしいアニメの実写化が流行っているようだが、あまりこの手は観ていない。それなりにちゃんと見られる作品だったのはたしか‥。

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―晩酌中―
一年を通して四季の流れが早く感じたりするのとは異なり、オマケ軍団と過ごした時間だけがとても長く感じてしまうのも可笑しなところである。そういえば去年の今日は「はなこ」の影がまだ無かったのかと思うと、時の感覚にますます不思議を覚える。この寒い時期に捨てられたのも彼女の運命、その経緯があって我が家の申し子になったのも運命だと思う。オマケ軍団は実の子のように思っている。『子のように』と言っても、子を育てたことのない男はそれ以上のことを語る権限もない。ただ、どこぞの本から得た言葉を借りれば、「自分への遠いところからの賜りもの」、そんな気分である。

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「はなこ」
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―23.8.18撮影― 眠くなると赤子のような顔になる

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―23.11.03撮影― 刺激が強い画像のため一部モザイク処理

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11月21日(月) 雨 気温8度 

とうとう冬がやって来たかと思わせるほどの寒い午前となる。見返りを求める名犬スパイクは朝から散歩の要求が絶えない。年々図々しさに磨きがかかってきている感じで、寒いというのに散歩要求にピリオドなどない。こうしている間も、作りあげた可愛げな仕草のなか計算された毒々しさを横合いから見え隠れさせている。6歳とも成れば犬もオバ半なのだろう。実に見事なものである。

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午後にでも庭師に成り済まし庭木の手入れでもしようかと思っているが、こんな昼行灯な性格では、おおよそ今日中にやろうと思うことが明日になってしまい、明日にしようと思った瞬間に当てがなくなるのである。歳を取るということは理屈をこくことが上手くなるようで、ものごとの後先にちゃんと言い訳をつけるようになったのが素晴らしく都合いい。

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2011年11月 5日 (土)

景観

10月29日(土) 晴れ 気温21度

秋風薫る晴れた日は縁側のガラス戸を開け放って、ついでに座敷の障子も押しひろげ畳の上にでんと寝そべっていたいものだが、我が家の塀など簡単に飛び越えそうな「はなちゃんジャンプ」を見せつけられては落ち落ち寝てはいられない。そうでなくとも何にでも興味をいだく年頃の「はなこ」なんて、やたら危なげな行動ばかりする。いっそ主人を見習って酔いつぶれてくれていた方が安心なのだが、酔えば酔ったで酒グセが悪そうな気もする猫である。

Hanakosann

紅葉の秋といっても我が家の中庭にオマケ軍団の姿がなかったとすれば、肌寒い季節が近づいたとしか感じれない狭いただの庭でしかなかった気がする。この空間で遊び呆ける彼らの素振りは我が家の小さな劇場だと言ってみてもおかしくない。今日も「はなこ」と紋次郞の珍劇場が無料で見られたことへ感謝する。

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10月31日(月) 晴れのち曇り 気温22度

たいがい夢中になったことがあっても初めの情熱が冷めると面倒な後に臭みが付いてしまう。情熱があるうちは勢いもよく楽しいものだが、いったん冷めてみると面倒くさいと裏返る。持続力が無いとかではなく飽きが早い男なのではなかろうかと善意に解釈しながら酒をあおり自尊心を保っている。ただ趣味として永く続けていきたいモノ作りにまで手をつけなくなっていることへ、これでは「あかん」と思いつつ、明日から開かれる創作人形展のホームページに目が止まり、大阪まで出掛けようかと迷う次第。もちろん日帰りが前提である。

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オマケ軍団と生活して長旅などあったものでなく、正確にいえばボロ家に住みついてから遠出などしていない。朝一番の電車に乗り午前には目的の心斎橋へ到着する予定、午後7時には帰宅するつもりでいる。留守中はもっとも信頼できる知人の中年太りがオマケ軍団の世話をしてくれるという有り難い返事を貰い受け、たぶん安心してもいいだろうという半信半疑なる不安定な気分で前夜を過ごしている。

本音からすれば鶴橋あたりで一杯ひっかけてから帰りたいものだが‥、そうもなるまい。
はたして空き巣の番も出来ないオマケ軍団と、今月初めに狭心症にて心臓カテーテルを終えたばかりの知人に留守を任せて優雅な旅が出来るだろうか‥

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11月2日(水) 晴れ 気温26.2度

留守中の北陸の気温は20.5度、大阪は25.5度と半袖シャツ一枚でも十分な暑さだった。予定通りの時刻には帰宅し留守中の無事を確認すると、ようやく気分が晴れたように思えた。遠出までして食ったモノといえば立ち食いソバとたこ焼きだけ、普段の食事の方がちょっとだけマシな気もする。必要以上の人混みと展示会での刺激や収穫はそれなりにあったが、オマケ軍団を残していったことへの刺激の方が強く感じていたのが本音である。

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11月4日(金) 晴れ 気温22度

いつの間にか日脚がめっきり短くなり、あっという間に夕暮れになってしまう。さいわい晴天が続いているので日中折を見てはその辺をふらふら犬と歩いたりしているが、気を引くような出来事もなければそのような気配もない。犬と歩けば棒に当たるという話しも「うさん臭い」もので、当たるとすればクサイクの用足し後の始末袋ぐらいなものでしかない。

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散歩からの帰宅へのコースに差し掛かれば、毎回つまらなそうな表情に変化するスパイクとは打って変わり、紋次郞と「はなこ」は玄関を開けるなり大はしゃぎする様子が見られる。スパイクは水飲み場へ直行するも紋次郞と「はなこ」は階段やら廊下やらをドタドタ走り回って喜び勇むのがお決まりとなっている。時折、勢いづいてケンカになる二匹ネコではあるが勝敗といえば、これまた「はなこ」に軍配が上がる始末で、男ならではの女々しさというものを秘めながら、気がつけば昼寝の時間となるのも日々の日課。

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